日和田山の麓に佇む 高麗神社

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日高市のシンボルとして親しまれている日和田山の麓に佇む古社 高麗神社 (こまじんじゃ)

旧社格は県社でした



駐車場の傍らに立つトーテムポールのようなものは

天下大将軍・地下女将軍と書かれた将軍標(しょうぐんひょう)と呼ばれる境界標です

これは日本的に言えば道祖神のようなもの


ここは韓国系の神社なのです 



昔から日本にはさまざまな渡来人が渡ってきました

今から1300年近く前、武蔵国には高麗郡が置かれました

朝鮮半島では668年に唐、新羅に高句麗が滅ぼされ

日本に亡命していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させたことが始まりです



一の鳥居、二の鳥居にかかる扁額の装飾もなんかちょっと雰囲気があるょね



あの大山倍達が奉納した手水舎 

境内地の東側には高麗川が流れていて

徳川家から贈られた社領は結構広いです



なんか参拝者が多いね

なにかイベントやってるのかな

境内が賑やかです



参道には随分記念植樹が多いです


高麗神社は出世の神様といわれています

昔、浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが

高麗神社を参拝した後、相次いで総理大臣となったことから

出世明神 と呼ばれるようなりました

そのため参道の両脇にはとても多くの政治家達が植樹をした献木がありました



神楽殿前ではよさこいの演舞が行われていました

舞人~HIDAKA~



みんな後ろにお面をかぶってる

いろんなのがあるなー



韓国の現代音楽であるサムルノリの演奏だ

チームAVK



綺麗な神門を通って拝殿へ向かいます


優美な曲線を持つ門の様式を一般的に唐門(からもん)と呼びます

その名称から大陸文化を連想してしまいますが、実は日本独自のデザインのようです


また門の種類として高麗門 (こうらいもん)と呼ばれる直線を基調とした門があり

まさに高麗神社などには名称的にもピッタリきそうですが

正面の門は唐破風造りです

拝殿は少し高台に建てられています



この門にかかる扁額をよくみると高麗神社ではなく

「高」と「麗」の文字のあいだに小さく「句」の文字が書かれています

繋げて読めばまさに 高句麗神社


でもこれは明治末期に当時の韓国政府閣僚が奉納したもので

10世紀に成立した高麗王朝(こうらいおうちょう)と

7世紀に成立した高句麗王朝とを区別するために「句」の文字を入れたそうです


金色に輝く高麗神社の神紋は鶴の丸です



ご祭神は渡来人の高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)と

猿田彦命(さるたひこのみこと)、武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)です

一般的には高麗若光(こまのじゃっこう)と呼ばれています

名前にある「王」の字は「こきし」「こしき」「こにしき」「こにきし」などとも読みます



666年に高句麗の使者(副使)として来日するも

本国の高句麗が唐と新羅の連合軍によって滅ぼされてしまったため

若光は帰国の機会を失ってしまったと考えられます

716年に武蔵国に高麗郡が設置された際には

朝廷が東海道7ヶ国から1799人の高句麗人を集めて高麗郡に移住させました

当時とすれば一大勢力並の人数となりますね


高麗若光り子孫である高麗氏は現在まで高麗神社の宮司として続き

現宮司は60代目になるそうです



高麗若光は白い髭を蓄えていたそうです

その姿から神格化後は白髭大明神とも呼ばれました

白髭神社のご祭神ですね


神拝詞 となえことば

祓え給い 清め給え 神ながら 奇しみたま 幸え給え 

はらえたまい きよめたまえ かむながら くしみたま さきわえたまえ

参拝は二拝二拍手一拝です



県指定文化財である一間社流造の本殿は

覆屋の中で保護されていますので見ることが出来ませーん

また本殿の裏手には重要文化財に指定されている高麗家住宅があります


拝殿右手が授与所です

ご朱印を頂いてきます 











高麗神社

日高市大字新堀833
042-989-1403









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